渋チャレ!

きっかけ、をチャンスに。

もうしあわせである

色々あり過ぎて
人に話すだけでは足りなくて
twitterでは意味深過ぎるし
Facebookでは明け透け過ぎるし
Evernoteでは秘密過ぎるので、

おおやけに もがく こちらで。

来年まではそういう場所にします。

-----

去年のいつから始めたか忘れたけど、
今年はほぼほぼ毎日
Instagramをアップしてました。

テーマは
・今日よかった景色
・チャレンジしたこと
・撮りためた中から加工

一応、この中でなるべくカッコよく、
がマイルールでした。


そうしていくと、
友人のオシャレな投稿をを真似たかったり
カッコいい写真の人をフォローしたり、
闇雲ながらも深入りしていきました。


それが楽しくて楽しくて、
Facebookにアップしたら
「これまでと何か違うね!」と言われ
何かなぁ、そんなことないけどなぁ、
むにゃむにゃと思っていました。


この変化に強く関心を持ってくれた人に
昨日久しぶりに会いました。
多くを語らないのでよくわからなかったけど
良くも悪くも写真が変わったと。

前はもっとほんわかしてたけど、
誰かの真似をしているような
パキッとした写真が増えたような、
型にはまった感じのようなごにょごにょ、と。

えーマジか
と言うのが何よりの感想。


良かれと思っていたし、
やっぱり好きだなぁ
と思う方にシフトしたつもりだったから
逆に没・個性ならそれもまた虚しい。


それで、
ザーーーーっと
Instagramの投稿を振り返りました。


そう言われてみれば
確かに変わっている。
まだ“自分らしい写真”を
確立していないのもしかり。
あとひとつ気付いたのは
これまでは
「チャレンジを探し当てて」
「しあわせを掘り起こしてた」
そういう日々だったんだと思います。
何とか見出して、幸せを感じる。
そうでないと持たなかった。

今思えばそうであるように思います。
とても無理をしていたなぁ。


では今はどうかと言われれば、
「もうしあわせである」と
少しだけわかってきたんだと思います。

もう幸せであるということは、
充分チャレンジが出来ていて
好きなこともわかっている
そういう状態なんだと思います。

不器用なのも自分、
黙っていられないのも自分、
臆病だけどチャレンジしてしまう
そういう好奇心があるのも自分。

いつまで経っても
「ピュア」とか「まっすぐ」と
言われちゃうのも自分。


その自分が
「あぁ、今日もきれいだなぁ」と
触れあった日々から
気持ちが高まった景色を切り取っている。
だから変わったのかなと思います。

このままを認めつつあるのかも。


でもまぁ、一方で
需要がありそうなものを
撮ってる面もあるかも。
下心丸出し。

まだ怪しいけど、
でもきっとカメラ越しに見る景色が
何か変わったんだと思います。
それに、加工することを認めて
アートやデザインを作ってるような
そんな気持ちでアップしてるような気がします。

来年はそうだな、
自分の写真が撮れるようになりたいかな。
渋チャレっぽさはこれ、
そういうのが出てくるといいかな。


続けるとどこかに辿り着く、
本当にそうだなと思いました。